― Knowledge Routing という考え方へ ―

最近、開発現場ではこんな言葉を耳にする機会が増えました。

「AI がドキュメントを書いてくれるんだから、もう静的ドキュメントなんて要らないでしょう。」

確かに、生成 AI は必要な情報をその場で整理し、人間が読みやすい形へまとめてくれます。

その結果、

「動的ドキュメントがあるなら、静的ドキュメントは不要ではないか」

という考え方が、ごく自然なものとして受け入れられ始めています。

しかし私は、この流れには少し危機感を持っています。

問題は、「AI が優秀かどうか」ではありません。

その判断が、どのような前提に賭けているのかが、あまり意識されていないことです。

動的ドキュメントは万能ではない

現在、多くの組織では二種類のドキュメントが共存しています。

  • Static Document:人間が設計し、整理し、維持する静的な知識
  • Dynamic Document:AI が必要に応じて生成する動的な知識

この二つは、役割が異なります。

ところが最近は、

「Dynamic があるのだから Static は不要」

という議論になりがちです。

私は、この考え方は危険だと思っています。

AI は「質問されたこと」にしか答えられない

この問題は、テレビとインターネットの違いに少し似ています。

テレビは、自分が興味を持っていない情報も流れてきます。

そのため、専門外の領域にも自然と触れることができます。

一方、インターネットでは、自分が検索したものしか基本的には目に入りません。

生成 AI は、これをさらに推し進めます。

AI は質問には答えられます。

しかし、

質問されなかったことまで教えてくれるとは限りません。

これは AI の限界ではありません。

人間も同じです。

聞かれなければ答えられません。

だからこそ、

「何を質問すべきなのか」

を把握するための全体像が必要になります。

Static Document は「地図」である

私は、Static Document を「地図」だと考えています。

AI が生成する Dynamic Document は、その地図の中から、必要な情報だけを切り出した案内です。

地図がなくても、目的地まで案内してもらえる場面はあるでしょう。

しかし、

知らない目的地へ案内してもらうことはできません。

メンテナンス開発や運用の引き継ぎでは、この違いが致命的になります。

地図が失われれば、

「何を知らないのか分からない」

という状態に陥るからです。

これはドメイン知識を扱う組織にとって、小さな問題ではありません。

私たちは、未来に賭けようとしている

それでも、

「Static Document はもう不要だ」

という判断をすることはできます。

ただし、それは一つの前提を受け入れることになります。

「もう人間は Static Document を読むことはない。」

という未来です。

もし、その未来が実現するなら、この判断は正しいのかもしれません。

しかし、その未来が実現しなかったとしたら。

Static Document を失った組織は、ドメイン全体を俯瞰する地図を、自ら捨てたことになります。

私は、この意思決定が現場で十分に議論されているようには見えません。

AI が優秀だから、ではありません。

その未来に賭けるだけの根拠が、本当にあるのか。

そこが気になっています。

次に考えるべきこと

では、AI 時代に Static Document はどのような役割を持つべきなのでしょうか。

私は、この問いは単なるドキュメント管理の問題ではないと考えています。

重要なのは、

「知識を保存すること」

ではなく、

知識が、人間と AI の間をどのような経路で流れるか

です。

次の記事では、この考え方を Knowledge Routing として整理してみたいと思います。