― AI は Knowledge を共有できる。しかし、会議はできない ―

前回の記事では、AI が Knowledge Management に新しいレイヤーを追加したのではないか、という考え方について書きました。

Knowledge Management が、知識をどのように創造し、蓄積し、共有し、活用するかを扱うものであるなら、 AI の参加によって、

  • 誰が知識を参照するのか
  • どの知識を選択するのか
  • 誰へ届けるのか
  • どのような形へ変換するのか

という、知識の経路そのものを設計する必要が生まれます。

私は、この振る舞いを Knowledge Routing として考えてみたい、と書きました。

しかし、実際に複数の AI と一つのプロジェクトを進めていると、 Knowledge Routing だけでは説明しきれない現象に遭遇しました。

Knowledge を共有しても、 共同作業をしていた状態が戻らないのです。

複数の AI と一つのゲームを作る

私は最近、複数の生成 AI と共同で、リバーシを題材としたゲームを開発しました。

それぞれの AI には、異なる役割があります。

ある AI は企画や仕様について考え、 別の AI は実装を担当し、 また別の AI は司会進行や情報整理を担当します。

人間の開発チームで言えば、 企画担当、プログラマ、ファシリテーターが一緒に仕事をしているようなものです。

このような開発そのものは、現在の AI でも十分に可能です。

仕様書を作り、 コードを書き、 テストし、 問題を修正しながら、 実際に一つのソフトウェアを完成させることができます。

しかし、開発の途中でプロジェクトの方向を変更しようとしたとき、 一つの問題が起きました。

参加者全員で、一度話し合う必要があったのです。

人間なら、会議を招集すればよい

人間のチームであれば、これは難しいことではありません。

「少し集まりましょう」

と言って、ビデオ会議を開けばよいのです。

参加者は、それぞれが直前まで考えていたことを持ち寄ります。

何を重要だと考えていたのか。

どこに問題があると感じていたのか。

どの案を有力だと思っていたのか。

何をまだ判断できず、保留していたのか。

そうした状態を持ったまま議論へ参加し、 他の参加者の意見を聞き、 自分の考えを更新します。

会議が終われば、それぞれが新しい認識を持って、 再び自分の作業へ戻っていきます。

人間は、このような仕組みをあまり不思議には思いません。

会議を開けば、それが自然に行われるからです。

AI は同じ会議へ参加できない

ところが、現在の AI では同じことができません。

それぞれの AI は、それぞれ別の会話環境の中にいます。

ChatGPT との会話には、ChatGPT と積み重ねてきた文脈があります。

Claude との会話には、Claude と積み重ねてきた別の文脈があります。

Gemini との会話にも、そこで形成された文脈があります。

一つのプロジェクトについて話していても、 それぞれの AI が持っている会話の履歴と、 そこから形成された現在の状態は同じではありません。

もちろん、資料を共有することはできます。

仕様書を渡すこともできます。

Knowledge Base を用意することもできます。

MCP などを使い、必要な情報やツールへアクセスさせることもできます。

しかし、それでも同じにはなりません。

Knowledge を渡しても、直前まで共同で考えていた状態は復元されない。

これが、実際に複数の AI と共同開発をしていて感じた問題でした。

Knowledge Base に保存されていないもの

Knowledge Base に保存できるのは、基本的には知識です。

確定した仕様。

設計上の判断。

過去に発生した問題。

議論の結果。

それらを文章やデータとして保存し、 別の AI に渡すことはできます。

しかし、共同作業の最中には、 まだ文書になっていないものが存在します。

例えば、

  • 現在、どの問題へ注意を向けているのか
  • どの仮説を有力だと考えているのか
  • どの説明に違和感を持っているのか
  • 何を確定せず、意図的に保留しているのか
  • 次にどの方向へ思考を進めようとしているのか

といったものです。

これらは、単なる知識ではありません。

会話の全文とも違います。

同じ会話履歴を別の主体に読ませたとしても、 同じ着眼点や問題意識が必ず再現されるとは限りません。

そこには、知識とは別に、 その時点で知識がどのように意識され、結び付けられ、利用されているかという状態があるように見えます。

活性状態というものがあるのではないか

私は、この現象を説明するものとして、 ある種の 活性状態 が存在するのではないか、と考えています。

励起状態と呼んでもよいのかもしれません。

ただし、現時点でその定義が明確に存在するわけではありません。

何が活性化しているのか。

どのような情報を含むのか。

どの程度まで保存、転送、復元できるのか。

そもそも独立した状態として扱えるものなのか。

それらは、まだ分かりません。

ここで言いたいのは、 「活性状態とは何か」を定義したということではありません。

Knowledge や Context だけでは説明できない、何らかの状態が存在するのではないか。

という問いです。

複数の AI に同じ Knowledge Base を与えても、 それぞれが直前まで行っていた共同思考は復元されません。

一方、人間は会議へ集まることで、 少なくとも実務上は、その状態を再び立ち上げることができます。

この違いは、単なる情報量の差だけではないように思えます。

AI によって、人間の会議の役割が見えてきた

会議というものは、しばしば情報共有のための仕組みだと説明されます。

しかし、情報を共有するだけであれば、 文書やメールでも可能です。

それでも人間は、重要な局面になると集まって話します。

これは、単に情報を交換しているのではなく、 参加者それぞれの思考を再び活性化し、 相互作用させ、 現在の認識を同期しているからではないでしょうか。

人間だけの組織では、 この働きはあまりに自然であるため、 独立した問題として意識されにくかったのかもしれません。

しかし、AI と共同作業をすると、 その機能が欠けていることがはっきりと現れます。

AI は、人間よりもこの問題を顕在化させます。

人間なら会議を招集すればよい。

しかし AI では、 それぞれの会話環境に蓄積された状態を保持したまま、 同じ会議へ参加させる方法がありません。

AI との共同作業を通して、 逆に、人間の会議が本当は何をしていたのかが見えてきたように思います。

現在のオーケストレーションでは足りない

現在、複数の AI を協調させる方法として、 API や MCP を利用したオーケストレーションが考えられています。

これらを使えば、 一つの AI から別の AI を呼び出したり、 共通の Knowledge Base やツールへアクセスさせたりできます。

タスクを分割し、 複数の AI へ割り当て、 それぞれの結果を統合することもできます。

しかし、この方式では多くの場合、 AI は毎回、必要な資料を渡されて仕事を始めることになります。

そこでは、 それぞれの AI が元の会話環境で積み重ねてきた文脈や、 直前までの思考の状態が失われます。

これは、初対面の作業者へ議事録と仕様書を渡し、 続きを依頼することに近いのかもしれません。

資料は存在します。

必要な知識も書かれています。

しかし、昨日まで一緒に議論していた参加者とは同じではありません。

私が必要だと感じたのは、 AI を新しい API セッションとして呼び出すことではありません。

それぞれの AI が現在使っている会話環境から、 その状態を維持したまま会議へ参加することです。

そして会議の結果を持って、 再び元の会話と作業へ戻ることです。

なぜ協調に可能性があるのか

これまでにも、複数のシステムや AI を協調させる試みは数多く行われてきました。

しかし、必ずしも良い結果になったとは言えません。

私は、その理由の一つは、 協調という考え方そのものではなく、 協調させる個々の機能が十分ではなかったことにあると考えています。

以前のシステムでは、 音声認識、画像認識、自然言語処理、推論など、 それぞれの機能が非常にピーキーでした。

限定された条件の中では動いても、 少し前提が崩れると正しい結果を返せません。

そのため、他の機能と協調させるには、 システム全体を、そのピーキーな機能へ合わせて設計する必要がありました。

協調というより、 最も不安定な機能を他の要素が介護していた、と表現した方が近い場合もあります。

しかし現在の AI は、 完璧ではない出力や曖昧な表現を解釈し、 別のシステムへ接続する能力を持ち始めています。

LLM は、すべての専門機能を置き換えるだけでなく、 異なる機能の間に入り、 曖昧さを吸収するアダプターとして使うことができます。

そのため、現在では、 一つ一つの専門システムへ万能性を要求する必要がありません。

狭い分野で有効な専門 AI であっても、 他の AI と意味的に接続できれば、 チームの一員として参画できる可能性があります。

巨大 AI だけではない未来

もし協調の仕組みが成立するなら、 将来必要になるのは、 一つの巨大な AI だけではないかもしれません。

特定の分野に強い、比較的小さな専門 AI が、 複数参加する構成も考えられます。

例えば、

  • 専門領域の判断を行う AI
  • 実装を担当する AI
  • 情報を検索し整理する AI
  • 議論を進行する AI
  • 人間へ説明する AI

が、それぞれ異なる役割を持って一つのプロジェクトへ参加します。

このとき重要になるのは、 どの AI が単独で最も賢いかではありません。

異なる知性が、どのように状態を保ち、相互に影響しながら働けるか。

という問題です。

Knowledge Base を共有するだけでは足りません。

Knowledge Routing によって、必要な知識を届けるだけでも足りません。

それぞれの主体が、 何を考え、 何へ注意を向け、 どのような仮説を持っているのか。

その活性状態を維持しながら、 共同思考へ参加する仕組みが必要になるように思います。

Knowledge Routing の次に現れた問い

前回の記事で、私は Knowledge Routing という考え方を提示しました。

知識が誰を経由し、 どのような形で、 誰へ届けられるか。

AI が Knowledge Management へ参加するなら、 その経路を設計するレイヤーが必要になると考えたからです。

今回、実際に複数の AI と共同開発をしたことで、 その先に別の問いが現れました。

知識を届けた後、 その主体の中で何が起きているのでしょうか。

共同で考えていた状態は、 なぜ Knowledge Base だけでは復元できないのでしょうか。

人間は、会議によって何を再び立ち上げているのでしょうか。

AI がそれぞれの文脈を保持したまま会議へ参加するには、 何を保存し、何を接続する必要があるのでしょうか。

それを説明するものとして、 ある種の活性状態が存在するのではないでしょうか。

まだ、答えは分かりません。

活性状態という言葉が適切なのかも分かりません。

独立した概念として定義できるのかも、 現時点では不明です。

しかし、複数の AI と実際に共同作業をすると、 Knowledge や Context だけでは説明しきれない何かがあるように感じます。

これは、AI の問題であると同時に、 人間の協調とは何かを改めて考える問題でもあります。

Knowledge Management から Knowledge Routing へ。

そして、その先には、 知識を持つ主体の活性状態と、 それを同期する仕組みについて考える領域があるのかもしれません。

今のところ、これは一つの問いに過ぎません。

しかし、AI が単独で仕事をするだけでなく、 人間や他の AI と継続的に協調するようになるなら、 極めて重要な問いになるのではないかと、私は考えています。